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混迷の漂流国家ニッポン。政治の理想を追求すべく"新党ひとり"をバーチャル立党。それが『未来党(The Next Generation's Party)』。

【再掲】 未来への提言(1997年論稿) [政治]

年頭のエントリーをどうしようかと、いろいろと考えているうちに、
はや数時間が過ぎました。

そこで、だいぶ前に掲載した内容ですが、
私の政治的・思想的バックボーンを改めてご紹介するに、
ちょうどよいものがありますので、ここで再掲載させて頂きたいと思います。
決して手抜きではありませんよ(たぶん...)。

元々15年ほど前に大阪で仕事をしていた頃に、
地元の有志で作っていた同人誌的なものに寄稿した論考です。

内容的には、まさに未来党の原点とも言えるものとなっており、
クラゲのように漂流する国家、そして「無告の民」への警鐘でもあり、
混迷の色が一層深くなりつつある今だからこそ、改めて世に問いたいと思います。

あまりに理想主義的な文章に、青臭さを感じる方も多々いらっしゃると思います。
しかしながら、そうした青臭いもの、理想、そして夢や情熱といった力が、
常に時代を切り拓いてきたことを思い出して頂ければ幸いです。

神は人間の業を支配する。
神の助けなしに一大国家を建設するはずはないのである。

                                                ベンジャミン・フランクリン

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ハリウッドSF映画の名作、『スターウォーズ』シリーズが、未公開映像約5分を盛り込み、『特別篇』として今年の6月から公開されます。一作目が公開されてからちょうど20年目にあたるということですが、現在この一作目は『エピソードIV A NEW HOPE(新たなる希望)』と名付けられています。

悠久の昔、その強大な軍事力で銀河支配を目論む帝国軍に銀河が蹂躙され、人々が希望を失いかけた時、ルーク・スカイウォーカーという若いジェダイの騎士が闇との戦いに立ち上がり、同盟軍の多くの同士と共に銀河の平和のために帝国軍と戦いを繰り広げる・・・という壮大なスペース・オペラが『スターウォーズ』のストーリーですが、形は違えども、シチュエーションとしては現代の日本の姿と似ていなくもないと思うのです。

現代の暴君と化したマスコミ権力

「現代の悪魔は活字から入ってくる」とルドルフ・シュタイナーは言っています。
既に司法・行政・立法の三権を抑え、事実上の第一権力となったマスコミが、言論の自由を振りかざし、明らかに恣意的な情報操作、国民の感情操作によって「世論」を作り上げ、国政を左右し、あろうことかペンやマイクによって多くの人の心を害しています。

そして、その結果については何ら責任を取ることがありません。
これはまさに暴君そのものの姿と言わざるを得ません。
日本という国を支配しようとしている闇の勢力そのものでもあります。
「言論の自由」、「表現の自由」を単なる「営業の自由」に堕落させ、売れさえすればいいという拝金主義に染まったマスコミが、数多くの人々の精神を荒廃させる雑誌、言論を世間にバラ撒いています。

他人のプライバシーを覗き見て喜び、成功者を引きずり降ろして勝ち誇り、時には死体や女性の体まで売り物になる。
そのような他人の不幸を楽しむ雑誌や言論は最低であると言っても良いでしょう。

このような雑誌、あるいはテレビ番組を通じて、人々の心は知らず知らずのうちに蝕まれていっているのです。
人間の本質である心が、その精神が侵されているのです。
そして、人々の心は堕落してゆき、享楽的・退廃的な様相を呈しています。

そう、彼らマスコミは極めて根本的な部分が判断できていないのです。
それは善悪の判断です。そして、善悪は元々人間が分かつものではないということを知らねばなりません。
また、自由には方向性が必要です。神に向かう精神の自由か、地獄に向かう欲望の自由か。
この選択を誤った時から悲劇は始まったのです。

未来に向けて高度な文化を!

「ペ ンは剣よりも強し」という言葉がありますが、現代社会はまさしくその通りであると痛感させられてしまいます。
それはなぜか。剣であれば、自分が狙いを定め た特定の相手しか傷つけることはできませんが、ペンの怖いところは、自分の意思や狙いとはまったく関係なくとも、言論機関を通じて不特定多数の人々に影響 を及ぼすことができてしまうからです。

質の高い情報を人々が幸せになる方向で伝えていけば、社会はより高度でより調和された方向に向かうのでしょうが、そうでない場合は、まったく逆の道を歩むことになります。そして現代の日本は後者の道を歩んでいるように見えます。

こうした事態は、ある意味で人々の精神を曇らす「精神的公害」そのものなのです。
では、私たちはどうすべきなのでしょうか。
現代社会において「情報」というものは非常に大事なものになっていますから、その情報源をすべて遮断するということは、社会的孤立につながっていきます。

故にこの「精神的公害」への対抗手段としては、情報の質そのものを変えていくしかないのです。
そして正義に目覚めた人が数多く出現することによって、悪しき 言論の需要をなくしていき、供給そのものを滅していくことが、未来に向けて、高度に知的でかつ洗練された文化を創造していくために大事なことではないかと 考えます。


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無宗教国家日本の敗北

マスコミが現在のように暴君と化した背景には、唯物論・無神論の蔓延があります。
では、なぜこのように唯物論・無神論が蔓延することになったのでしょうか。

それは、戦前・戦中からの「皇国史観」が先の大戦によって敗れ、「神国ニッポン」が解体される過程において、国家の精神的主柱である「宗教性」が日本から抜き去られたことにあります。
確かに、「神国ニッポン」は敗れはしましたが、
それは「日本神道を利用した日本軍」が敗れたということであって、決して宗教そのものが敗北したということではないのです。

にもかかわらず、極端な宗教性の中で悲劇を味わった国民は、宗教を日本から排除する方向に努力してきたかのように見えます。

そうした国家の精神的主柱を失った日本人の心の隙間を埋めたのが、逆に戦前・戦中に政府から弾圧された「マルクス主義史観」でした。
宗教が駄目なら今度は唯物論で、ということだったのでしょうか。

こうして国家の舵は極端から極端へと、再びその針路を変更していったのです。
そして、戦後五十数年間、日本人は宗教なき、神なき時代を過ごしてきました。
その間、確かにひとつの繁栄をその歴史に刻みはしましたが、その結果どうなったでしょうか。

学校ではいじめが流行し、世間では異常犯罪が増加し、中学生や高校生が「援助交際」として売春を行う「獣の社会」になっています。こうなった責任は、それらをセンセーショナルな記事や報道で助長したマスコミ、マスメディアにもありますが、その根本の原因は、戦後の唯物論教育にあります

人間はひとりで大きくなっていくわけではありません。
人間は個人的な存在であると同時に社会的な存在でもあります。
人間が生まれ落ちて、白紙の状態から社会化(socialize)されていく過程において最も重要な役割を果たすのは、家庭と学校教育です。

とくに学校教育においては、宗教性がまったくと言って良いほど取り除かれた形での唯物論教育がなされてきました。
そして、宗教というものを、ある種いかがわしいものであるかの如く封じ込めてきました。
その結果、人間の尊厳を知らず、互いに愛し合うことの大切さを知らず、エゴイスティックに生きる人間を大量に生み出すことになったのです。

統一教会やオウム教などのカルト宗教によって、「マインドコントロール」という言葉がクローズアップされましたが、これは何も宗教の世界だけにあるのではありません。
会社組織やその他社会的集団、そして国家においてもあり得ることなのです。

そして私たち日本人は、
「戦後の唯物論教育こそが最大のマインドコントロールである」
という、戦後最悪の逆説
に気がつかねばなりません。

この世は神々の統べる世界です。そして、あの世は実在します。
そしてその実在する世界の価値基準やヒエラルキーを宣べ伝えているのが正しい宗教なのです。
その正しい宗教に蓋をした結果が、現在のような有様です。

このような堕落・退廃した社会の姿を露呈するに至り、無宗教・唯物論が人間を、そして社会を幸福にしないということを証明したと言っても良いでしょう。
無宗教国家日本はここに敗北
したのです。


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ユートピアの条件

この約一世紀の間に、極端な宗教性と極端な唯物論の中に日本人は身を置いてきましたが、そのどちらの道にも人間を幸福にするシステムは見出せなかったということを歴史から学んだ私たち日本人は、両極端を去り、今こそ中道の道に入るべき時ではないでしょうか。

その中道の道とは、大いなる存在への畏怖と畏敬の念を持ち、己を虚しくして神々の願い、理想とは何かということを真摯に問い続けることだと思うのです。
そして、さらに真の理想国家を建設していくということなのではないかとも私は思うのです。

「神などいない」、「あの世などない」と思うからこそ、人は傲慢になり、為政者は権力欲、支配欲に駆られることになります。

トマス・モアの『ユートピア』では、ユートピアにおける宗教について、寛容性をもって様々な種類の宗教が認められ信仰を持つことが基本とされているけれども、無神論者は軽蔑の対象となっています。

人間と動物を分かつもの、それはいったい何でしょうか?
道具を使う、物を作る・・・そういったこともあるでしょう。
しかし、私は「動物と人間を分かつものは『信仰心』の有無である」と考えます。

バブル期の日本人は「エコノミック・アニマル」とよく揶揄されました。
欧米の人々は、精神的バックボーンなしに海外マネーを貪欲に貪り食らう日本人の姿を動物の姿に重ねていたのでしょう。そして「お前たち日本人は何者なのだ?」ということを実は問うていたのではないでしょうか。

人 類の歴史を見れば、キリスト教、イスラム教、仏教、ユダヤ教・・・など宗教の違いはあれども、信仰を持つ人々が圧倒的に多数派であることは動かしがたい事 実であり、外国では相手がどのような「宗教」を信仰しているかを知ることが、相手を理解する重要なファクターとなっています。

たとえばホテルの予約シートに「宗教(Religion)」の記入欄があったり、その他いろいろな書類に同じく「宗教」の記入欄があるという話を聞きます。それほど生活に密接に宗教が根ざしているのが世界の常識というか主流派なのです。

つまり、「宗教」、「信仰心」というものが、人間としての共通項であると言えるでしょう。
そうであるならば、私たち日本人が目指すべき理想国家とは、この「信仰」というものが立脚点になくてはならないと思うのです。

ただ、「信仰」と言いましても、私は盲目の信仰に対しては警鐘を鳴らしたいと思います。
「人間性を向上させ、人生を豊かにする宗教とは何か」、ということを真剣に考えたうえで、正しい宗教選択をするべきだと考えております。

そうした意味において、神々の理想に沿った信仰心を取り戻せることができるのならば、キリスト教であれ、仏教であれ、日本神道であれ、あるいは新興宗教であれ、その種類は問いません。
むしろ宗教が互いの違いは違いとして認めつつも尊重し合い、いかに人間を、世界を幸せにできるかという一点において切磋琢磨することが、巡り巡って私たちに還元されるベネフィットとなると考えるものです。

また、その過程において人々を幸せにしない、はっきり言えば人間性を狂わせる危険な宗教も自然淘汰されていくはずだと思っております。

いま求められる新たな鎮護国家の思想

国家の繁栄は正しい宗教の繁栄から始まります。
聖徳太子の時代、そして聖武天皇の時代しかり。
とくに聖武天皇の時代には、争乱、飢饉、干ばつや地震などの天変地異が相次ぎ、鎮護国家の思想へと繋がり、有名な東大寺の大仏建立へと至ります。

次々と襲いかかる災難に人々が苦しむのをご覧になり、聖武天皇は、
「責めは予(われ)一人に在り。」
つまり、「自分の政治に問題があるからこのような天変地異が起きるのだ。責任は私一人にある」と語ったそうです。

今の政治家にこれほどの謙虚さと責任感があるのだろうか。
天皇というお立場にもかかわらず、これほどの為政者がかつて日本にも存在したことを私は誇りに思います。

プラトンの『国家』には政治家の理想像として、哲人政治家、哲人王が掲げられています。
すなわち、政治家が哲学を学ぶか、哲学者が政治家にならなければ国民は幸福になれないという主旨のことが述べられていますが、聖武天皇とはまさにこの「哲人王」ではなかったか。

日本神道の最高神官でありながら、仏教を学び帰依するという世界の常識から見れば非常に衝撃的なことも、
「国を、民を救いたい」という救国の心の前では些細なことだったのかも知れません。

現代の日本も聖武天皇の頃と状況が似ている。
火攻め、水攻め、地震攻め。そして相次ぐ流行病・・・。
いま新たなる鎮護国家の思想が求められているような気がしてなりません。

かつての聖徳太子や聖武天皇の時代、仏教とは当時の先進宗教でした。
果たして、いまその仏教に国を救う力はあるのでしょうか?

人類の『新たなる希望』とは

ギリシャ神話に有名な「パンドラの箱」の話があります。
「パンドラが神々から贈られた箱を、中を開けて見ることは許されていなかったにもかかわらず、その箱の蓋を開いてしまうと、中からありとあらゆる害悪が飛び出し、それ以降人類にはあらゆる災いが降り注ぐようになったが、唯一箱の中に残ったものがあった。それは『希望』であった」
という話です。

この闇深い時代において、私たち日本人が未来を拓いていけるか、そして理想国家建設の道を歩めるかどうかは、人間としての基本である「信仰心」を取り戻し、現代の『新たなる希望(A NEW HOPE)』を見いだせるかどうかにかかっていると、いま強く感じています。

私たちは過去や現在の時代にだけ責任を負っているのではありません。
未来に対しても責任があるのです。
つまり、未来の人類に対していかなるものを遺していけるかという意味において責任を有しているのです。

そして、未来の人類に対する贈り物は、理想国家のモデル、繁栄のモデルを遺すことです。

未来は理想の上に築かれていきます。
青臭くても良い。理想を追い求める人が数多く出現することを願ってやみません。

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