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混迷の漂流国家ニッポン。政治の理想を追求すべく"新党ひとり"をバーチャル立党。それが『未来党(The Next Generation's Party)』。

【再掲】これからの「核」の話をしよう [政治]


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※元記事:2011年2月20日分の再掲載です


愛すべき平和ボケ国家日本も、近年の北朝鮮問題、中国の軍拡等の問題により、やっと危機意識を持ち始めたかな、という感じはありますが、緊迫する世界情勢からすれば、まだまだ悠長なまどろみの中にどっぷりと浸かっているような気がしてなりません。

「核なき世界」「核兵器廃絶」という言葉は、確かに純粋で理想的な響きがあります。
私も理想は「核なき世界」であることは否定しません。

しかし、現実を見れば米露間の核兵器の数を減らそうという動きと逆行するかのように、核兵器保有国は増え続けています

翻って日本を見てみると、このような状況をニュースで淡々と伝え、核兵器廃絶の理想論を垂れ流すだけで、現実的な議論をタブー視し続け、事実上「核保有の議論を封殺」してきました。

平和主義者の方々が仰るような、
「武力放棄して平和憲法を堅持すれば、他国から攻撃されることはない。むしろ武力を保有しているからこそ敵視されるのだ」
という見解は正しいのでしょうか。

しかし、このような考え方が「お花畑思考」であることは、現実に即して考えて見ればよく分かります。
たとえば、なぜ警察という存在があるのでしょうか。なぜ銀行には防犯設備、ガードマンがいるのでしょうか。なぜ人は住宅に鍵をかけるのでしょうか。

平和主義者の考え方を借りれば、
「住宅に鍵がかかっているから、侵入したくなるのだ」、
「ガードマンがいるから挑戦したくなるのだ」、
「警察が存在するから、権力に反抗したくなるのだ」
ということになります。

また、こうした平和主義者の方はしばしば、国連という場で話し合いですべて解決すべき、という国連中心主義とも取れる主張をされることもあるようです。

しかし、国連というものをよくよく考えてみると、
第二次世界大戦の戦勝国が常任理事国であり続けている組織です。

加えて、常任理事国であるアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国の五ヶ国はすべて軍隊を保有しているのみならず、それぞれが核兵器保有国であるという事実から目をそらしてはなりません。

ついでながら、国連決議をしようとしても、常任理事国だけが持っている「拒否権」という特権によって、国連が国際紛争の最終解決の手段とならないことは最早隠しようがありません。
常任理事国間のイデオロギーの相違、あるいは各国の国益の立場等から既に国連は機能不全に陥っていると言っても過言ではないのです。

国際政治というものは、なんだかんだ綺麗事を言っても、パワーバランスのもとに成り立っていると言えるでしょう。

では、そのパワーの源は何でしょうか。
私は、「経済力」「軍事力」だと思うのです。

これをよく理解せずに日本は常任理事国入りを熱望してきました。
同じように常任理事国入りを目指している国にドイツがあります。
ドイツも核武装していないではないか、という指摘もありそうですが、実はドイツも核保有国なのです。

ドイツ自身が核兵器開発したわけではありませんが、NATO加盟国として、アメリカから核兵器の提供を受ける、という被ニュークリアシェアリング国家なのです。NATOでのニュークリアシェアリングを受けているのは、他にベルギー、イタリア、オランダがあります。
(日独伊三国同盟のうち2ケ国が保有国である点が興味深い...)

さらに、こうした国連常任理事国や、NATOニュークリアシェアリング国家以外にも、インド、パキスタン、イスラエル、そして北朝鮮が既に核兵器を保有しており、これからイラン、サウジアラビア、エジプトが核兵器保有・開発を目指しています。

このように、核兵器保有国は拡散傾向にあるのが世界の現実です。
こうした現実を踏まえて、果たして日本の「非核三原則」で国を守れるのか、また「核議論」をタブー視し続けることが安全保障上、健全なことであるのか甚だ疑問に思えるわけです。

軍事力や核兵器は抑止力とはならない、という考えもありますが、核兵器保有国はなぜ増え続けるのか。
現実を直視して、これを真剣に考えなければならないと思います。

また私自身、こうした国々は一体何の資格、権利があって大量殺戮兵器である核兵器を持っているのだろうか、と考えることがあります。

核兵器を保有する資格、権利という観点から見れば、
現在保有国はみな失格です。

正当な保有権利があるのは、
唯一の被爆国である日本だけ
なのです。

「日本は世界で唯一の被爆国であるからこそ、核兵器の悲惨さを知っているのだ。その悲劇を繰り返したくないだけだ。あなた方は一体何の権利があって核兵器を保有しているのだ。」

と言えば、もし日本が核武装したとしても、最終的に文句を言える国はこの地球上のどこにも存在しないのです。

以前のエントリーでも述べたことがありますが、陸海空の通常戦力と核兵器ではその性質が異なります。
通常兵器は「使用することを前提」とした戦力であり、
核兵器は「使用しないことを前提」とした戦力なのです。

つまり、「核兵器は最後の切り札」として、膠着状態を作り出すために存在します。
何千発も持っていなくても、数発、数十発持っているだけでも十分脅威と成りうるのです。
このように、お互いに切り札をチラつかせることで、膠着状態を維持するという意味において、やはり抑止力としての存在価値があるものと考えます。

「核」に対してアレルギー反応があるのは心情として理解できますが、その悲劇を二度と繰り返さないためにも、「核保有の議論」を自ら封印することは、極めて幼稚で、ある意味自殺行為だということを認識することが必要です。

軍事大国、核兵器保有国に囲まれた現状を冷徹に分析しながら、核兵器保有のメリット、デメリットをしっかりと議論し、もし保有するのならば自国で開発するのか、ニュークリアシェアリングを受けるのか。

また、保有しないのならば、「国防」というものをどう考えるのか。
日米同盟を堅持してアメリカの核の傘を享受し続けるのか、それとも中国の傘に鞍替えするのか、はたまたインドと軍事同盟を結ぶのか。あるいは地震兵器や電磁波パルス兵器など、一見トンデモな核兵器を超える次世代兵器を開発する道を選ぶのか。

いずれにしても、単なる理想論ではなく、
いかにして国民の生命と財産を守るか、という現実と真剣に向き合わねばならない時が来ているような気がしてなりません。

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